シアワセに仕様はない

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    子どもたちがシアワセな顔をしていたら

     

    きっとそこが

     

    私たちとって正しい世界なのだ

     

     

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    小さなシアワセについて考える

     

    お金があっても、勉強が出来ても、溢れるモノに囲まれていても、ヒトはシアワセとは限らない。

    シアワセとはアンケート結果でもスペックでもないからだ。

    当然ながらシアワセはインスタグラムの美しい写真の中にあるのものでもない。

    真のシアワセとは何気ない日常の中にこそあるものだと思う。

    また金銭的な貧困と不幸を一緒にするのもナンセンスだと思う。

    ボクは子どもの貧困問題という言葉が嫌いだ。仕事して収入を得ているわけでもない子どもたちに貧困という着物を勝手に着せてはならない。貧困家庭に生まれる子どもは居ても、小さなシアワセを持っている子どもたちに貧困なんてラベルを貼りつけるべきではない。

    もし貧困の問題があるとすれば、それは子どもたちにではなく、取り巻くオトナたちの発想の中にこそ貧困問題は存在しているのだ。

    対極としてボクが何気ない日常のシアワセを感じるCMがある。笑福亭鶴瓶が出演する「きゅうりのキューちゃん」のCMだ。

    奥様から仕事を言いつけられた鶴瓶。

    食事しながら「回覧板まわしてくれた?」「花壇に水は?」「コロにご飯は?」と矢継ぎ早に聞かれ「・・・」

    一瞬、落ち込むが「キューちゃんは買うてあるで」とつぶやくと「そういうとこ好きよ」と言われ、「な〜んかシアワセ」とほっとして口に放り込んだキューちゃんに「うもなってる」とつぶやく。

    なんと見事なシアワセの描き方なのだろうか。

    こんなシアワセを知っているヒトに、少々の貧困など生きるうえでの障害になりようがない。

    プール付のある豪邸に住み自家用ジェット機がないとシアワセになれないというのは発想が貧困だからだとボクは思う。

    なにがなくたって身近に子どもたちのシアワセな笑顔があったなら、それはあなたにとって、家族にとって人類にとって正しい世界です。

     

     

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    どこにでもあるシアワセを見つける能力が人生には大事であると国民に愛される笑顔は教えてくれていた

     


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