ぴっころ村の奇祭

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    各地で行われる豊年祭もピークを過ぎた感のある石垣島だが

     

    ぴっころ村では、古くから伝わることもなく伝統もない

     

    奇祭が今まさに始まろうとしていた

     

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    ぴろぴろで知られる巨匠S君の手による自由な製作風景は

     

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    やがて学校の卒業制作のような手形足型へと発展し

     

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    白いシーツはやがてカラフルな手形足型によって

    埋め尽くされていった

     

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    混ぜられた絵の具を体に塗りたくるという行為は

     

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    ヒトの脳の奥底にある原始の記憶を目覚めさせ

     

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    自由なアートシーンはやがて原始的密教の世界へと

    トランスしてゆくのであった

     

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    必然的にお互いの体にも塗ったくってみたいという欲求が

    展開を加速する

     

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    「やったな〜」「ははは!」「あっ!この〜」「#*=×・・・」

    手足にとどまることなく進展したボディペインティングは

     

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    理性の枠を超え、もはやぴっころ村は

    総天然色版パーントゥーの世界

     

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    ここが新川の事業所ぴっころなどという意識は

    どこかに消えうせ

     

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    ボクとしてはこんな世界をイメージしたのでありました

     

     

    まつりの後で考えた

     

    けしてやりたい放題でもなく、放任主義でもなく、個人が潜在的に持っている熱い魂を呼びおこし覚醒させることでポジティブな活力に変える。

    それが古くから伝わることもなく伝統もないぴっころ村の未来に向けた奇習のあり方になればいいかな。そう思う。

    あれをやっちゃいけない、これをしなくちゃいけないばかりの環境の中で育つ子どもは、何をすれば良いのか悪いのかを自ら考え行動するチャンスもなく、規制のなかで内向きベクトルばかりを悶々と蓄積させ不完全な大人のコピーになってしまうのではないかとの危惧を抱く。

    普段おとなしく言葉少ない子どもたちが目の色が変えて自分から積極的に取り組む瞬間に接する機会はそう多くはない。いつもはできないけど夏休みくらい、おもいっきり、はじけちゃってみちゃってください。

    大変な準備や後片づけ、そして子どもたちと一緒になって、この奇習をつかさどっていただいた関係スタッフの方々に感謝したい。

     

     

     

     

     

     

     


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