フライトぴっころ課外研修報告(前編)

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    はじめに:

     

    ぴっころの夏休み、ハルコさん研修中、送迎担当のボクはキッズスタッフ、それに普段は寮生活で別に暮らしている長男とともに男3人でフライトぴっころ課外研修の旅にでかけた。

    そこには日常生活のなかで忘れている部分を掘りおこし、我々のルーツを知り、将来を考える上でひとつの節目にしたいとの思いがあった。

    直接ぴっころの活動ではなく極私的記録かも知れないですが、日ごろ議論される一般家庭と比して「我が家はいったい何か変なのか?」もしくは「別に特別ではなく普通なのか?」を知る参考にもなればと旅日記として公開することにしました。

     

     

    2018 飛行少年たちの夏

     

     

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    車を交代で走らせて、ここに行きついたときには、ごらんのように日が暮れて真っ暗に。

    ヘッドライトに浮かび上がった記念碑には「太平洋無着陸横断飛行」三沢市とある。

    そう、ここは青森県三沢市の淋代海岸。

    我々の行動を的確に読むY氏にはSNSで発信する息子の位置情報からすっかりバレていたが、何も決めない無謀な旅の目標地点として、ここはふさわしい場所だった。

     

     

    1931年、パングボーンとハーンドンの二人のアメリカ人の乗った単発機ベランカは胴体下に増設された燃料タンクにガソリンを満載して、この海岸に特設した飛行場を離陸後41時間13分飛行し、太平洋を飛び越え米国ウェナッチにたどり着く。しかし飛行中邪魔になる車輪は空中で投下したため胴体着陸だったというから記録を作るための徹底ぶりがわかる。

    写真は淋代海岸に浜辺に置かれたベランカ「ミス・ビードル号」のモニュメントだ。

     

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    我々は翌日、朝から、あらためて発行地点へと向かった。左がパングボーン、右はハーンドン。

    ではなく・・・無類に飛行機好きな父子の図。

    「この、お父さん無謀ですよ〜」と猛暑のなか車中泊も辞さないパイロットに呆れる名ナビゲーター、それをカメラに収めているのがカメラ小僧のキッズだ。

     

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    淋代海岸。冒険飛行時代にこんな出来事でもなければ文字通り淋しいローカルな海岸だったろうと思う。しかしこの飛行機のおかげで航空史に名を残し、日本屈指の航空発祥の地の栄誉を担うこととなった。

    三沢の市街地ではあちこちで、このミス・ビードル号を記念するモニュメントが目についた。

    記録飛行を献身的にサポートした市民にリンゴ産地だったウェナッチ市から贈られた苗木はその後の青森リンゴ品種改良に一役買うことになり、両都市は姉妹都市を締結して友好な関係を維持している。やるな赤い飛行機!

     

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    そして、偉業80周年を記念して製作されたミス・ビードル号の復元機が展示されているのが、この三沢航空科学館。

    こちらはハリボテではなく本格的な復元機で実際に大空を飛んだらしい。

    腹下に増設されたタンクですっかり身重になった姿が長距離機であることを感じさせる。一方では単座にしてコクピット前面をすべて燃料タンクで埋めつくし前も見ずに大西洋を横断したリンドバーグのライアン機との設計思想の違いもわかり興味深い。

     

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    もうひとつ青森といえば、この飛行機である。この日本で唯一長距離飛行の世界記録をもつ航空研究機。略して航研機(こうけんき)という。

    主任設計者の木村秀政氏が青森県の五戸出身であることがここに航空科学館が創設され、航研機の復元機が展示されている所以だろう。

    先のY氏は板金屋の父上とともに福岡でこの機の復元に関与したこともあり、まだ新潟にいた我々の動向から将来位置、三沢を見抜いたに違いない。

     

     

     

    それにしても美しい機体である。凹凸のない理想の流線形にまとめられた金属製の機体は沈頭鋲で滑らかに仕上げられており、すでに日本の航空機が世界レベルに飛躍したことをうかがい知ることができる。

    しかし、こんな狭い機体内に缶詰になり、前も見えない飛行機を操縦してくれた藤田大尉(のちに中佐)という航空技術に深い理解を示すパイロットが居て初めて可能だったことは木村氏の自伝にも書かれているとおりだろう。

    日本は国を挙げて欧米に追いつこうと大飛行をバックアップしていた時代であったと言えるだろう。

     

     

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    また、同時に展示されていたこの機体は十和田湖の湖底から発見され2012年9月に引きあげられた旧陸軍の一式双発高等練習機。

    立川飛行機により設計製造され、本機は戦争中の1943年にエンジントラブルにより十和田湖に不時着したものだという。

    水没して75年もたっているのに淡水の湖底であったためだろう、日の丸や敵味方識別の黄桃色の塗装まで良好な状態で残されていた。

     

     

     

    そして屋外には歴代自衛隊機や隣接の三沢基地で使用された機体なのか米軍のUP−3やF−16の実機が飾られ、自由に見たり、機体によってはコクピットにまで入れる飛行機マニア垂涎の飛行機公園になっている。

    国産の三菱T−2、F−1に加え、ブルーインパルスカラーのT−2も並ぶ姿は壮観だ。

     

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    国産ターボプロップビジネス機のMU−2はベストセラー機。主翼後縁にフルフラップを装備し横の操縦はスポイラーでおこなうことで高速を誇った。自衛隊に高速連絡機として採用されたLR−1の操縦席に乗り込みご満悦の飛行機兄弟

     

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    その姿から空とぶ十字剣と呼ばれた懐かしい練習機のロッキードT−33.レシプロ機からジェット機に代わった黎明期のジェット練習機にも関わらす保存状態は良好のようだ。

     

     

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    そして、お盆時期にも関わらず隣接の三沢基地ではF−16が離着陸を繰り返し、Jウィング命の長男坊はエアバンドをチェックしながら、カメラを構えていた。さすが米軍、離陸直後のハイレートクライムなど那覇等では見られないような派手な高機動を見せて注目を浴びていた。これはF−16の複座型だった。

     

     

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    自衛隊機については時期が時期だけに飛行はないだろうと予想していたところ、丘珠で航空ページェントに参加したYS−11フライトチェッカーが突如、飛来。

    「もう一周、回るぞ」機体を順光でとらえるべくあわてて観察場所を移動する3人。エアラインからは姿を消して久しいが、ここで再会できるとは思っていなかった。聞きなれたロールスロイス・ダートのエンジン音を残して頭上を飛び去っていった。

    そして我々の共通のキーワード「飛行機」をたずねる旅は、ブルーインパルスの本拠、松島基地を訪ねた後、その主要地域を東北から中部セントレア方面へと矛先を変更するのでした。

     

     

    明日につづく

     

     

     


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