気になっていたヒト

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    悲しいお知らせだけれど、竹富島の内盛スミさんが1月14日、93歳で逝去されました。

    竹富島にこの偉大なお母さんがいなければ、僕は観光客として通い続けることも、また八重山に住みつくこともなかったと思うので、弔辞にかえて少し思い出を書かせてもらおうと思います。

     

     

     

     

     

    それは僕がまだ横浜の航空機メーカーに勤務し、休暇の度に竹富島通いを続けていた1980年代後半のこと。

    スミさんは常宿だった内盛荘のおかみさんであり、竹富島を仕切るビッグマザーであった。

    当時の様子は、僕にとって、まだもの珍しかった島のあれこれを書き綴った「竹富島と内盛荘の仲間たち」の中でこう記している。

     

     

     

    当時スミさんは民宿のおかみとして、僕たちの食事から、掃除、洗濯、宿の予約、売店の販売在庫の管理から機織りまでバリバリ仕事をこなしていて、夜は夜で祭りの準備やら練習やら常に忙しくしていた。

    僕は昼下がり、内盛荘の一番座にひっくり返り、島風に吹かれながらスミさんの機織の音を聞いているのが好きだった。

    島通い10年を記念して制作した竹富島10年詩には、スミさんの機織りについて、こう記している。

     

     

     

     

     

    そんな親の背中を見て育った長男の佳美さんもまた働き者であった。民宿を手伝う傍ら桑畑や蚕の世話、地域の行事にと常に動き回りながらも僕らに付き合って船を出して海で遊ばせてくれた。

    またスミさんの最愛の旦那様であり佳美さんのお父さんでもある正玄さんも歴戦のツワモノ、昔は西表島の水田を耕しにサバニで行き来したり、竹富〜石垣航路の船長を経て、当時はヤギを飼い、タコを獲り、暗くなるまで畑仕事に勢を出し、民宿のテーブルに食材を提供してくれるとともに、昔の島の暮らしや自然について、おもしろおかしく語って聞かせてくれるのであった。内地では考えもしない歴史や価値観に毎回、仰天させられる我々であった。

    スミさんの気分がのれば歌って踊り出すこともある。すると、すかざず正玄さんがサンシンを手に取り、満天の星空のもとエキゾチックな夜がゆっくりと更けていったものだった。

     

    そんな竹富島の観光客と民宿家族との付き合い方も、今は昔になった。

    日帰り観光客が島から溢れるほどに増え、民宿に1週間も2週間も逗留するような観光客はめっきり少なくなったに違いない。

    また民宿も高齢化とともに子や孫の時代に入っている、一度、島を出て帰ってくる彼らはスミさんや正玄さんたちの持つ島生粋の価値観よりもずっと都会的だ。リゾートも出来て、みんなでわいわいヤシガニ獲りに行ってたころとはスタイルが違う。

     

    スミさんは、14年前に長男の佳美さんを不慮の事故で亡くし、5年前には夫唱婦随の正玄さんにも先立たれた、経営からも退き、民宿も建て替えられ孫の時代で軌道に乗ったのを見届けると、そろそろ、あちらの方の面倒もみないと、と、思ったに違いない。

    正玄さんには「オマエはカジマヤーを祝ってもらってから来い」と言われたらしいけれど、いかにも最後までみんなのことを考えるスミさんらしいなと思った。

     

    僕から見えるスミさんは等身大に生きているのに果てしなく大きな存在でした。血縁のない僕にまで溢れる愛をありがとうございました。あちらに着いたら佳美さんや正玄さんによろしく。どうか安らかに眠ってください。

     

     

     

     


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