ジオラマの魅力ふたたび

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    以前もご紹介した天才的情景師アラーキー

     

    駄菓子屋のジオラマの本を書いた

     

    dagasiya.jpg

     

    これって本当にジオラマなのかと思うくらいになんとも凄い

     

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    左端にある一円玉を見なければ昔懐かしい駄菓子屋の店内を

    写真に撮っただけかと思ってしまうが

     

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    これ全部がアラーキー手作りのミニチュア

     

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    全てが実例をもとにした彼の創作であり、情景作品なのだ

     

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    指が入ってなかったら、ただの古ぼけたガスメーターだ

     

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    この本には、どうやって作るのか事細かに解説があるが

     

    見ても簡単にマネのできるシロモノではない

     

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    綺麗な看板を作ってから汚して行くテクニックにより

     

    重ねた歳月が再現され、リアリティは増す

     

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    風呂場なんてサイズを示すものがないと本物かと

     

    思ってしまう臨場感だ

     

    P1720975.jpg

     

    憧れるけど、ボクには高度すぎるので、とりあえず

     

    ダンボール箱を真似してつくってみた

     

     

    超言語なセカイ

     

    前回のRh君の東横INNもそうだが、生粋のクリエーターという人種には一般性、社会性、協調性が欠落している代わりに、一切の妥協もないのではないか。

    そこには追い求める対象へのあくなき探究心のみがあるのではないか。

    心を揺さぶられる作品を見ていると、そんなことを感じる。

    アラーキーの場合、現在はお仕事としてやられているので、クライアントの要望やらギャラ、期限といった現実の生々しい世界と完全に切り離して成り立っているわけではないと思うが、創作のモチベーションとしては、共通のように感じる。

    作りたい、と思う故に我あり。それは”描きたい、が止まらない”の古久保憲満君とも源流としては同じなのではないのだろうか。

    自分の中に持っている世界感を描き出すことが、この世の中で唯一の存在である自分が生きている証であり、言葉なき主張であり、自身の楽しみなのではないのだろうか。

    そして、たとえ自分独自の世界感をうまく言葉では言い表すことができなくても、分身でもある彼らの精魂こめた作品によって社会との関係を構築したり、自分を確認したり、コミュニケーションの手段としたり、あわよくば生業にしたりできたりすれば、障害があろうとなかろうと本人にしかできないシアワセな世界へと通じる道なのではないだろうか。

    ***したい、を止めたらいけないような気がする。

     

     

     

     


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