映える自撮りに適齢なし

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    今回の”このヒトも気になる”は写真家の西本喜美子さんです

     

    経歴はここをみてね

     

     

    見たところも御歳90歳にしては若いということに驚きますが

    本当にびっくりしてしまうのは作品ですので

    まずは代表作(?)を何枚か見ていただきましょう

     

     

     

     

     

     

    これが当年とって90歳のお婆ちゃんの作品というのだから

    まったくもって恐れ入ります

     

     

    気になるヒト殿堂入りのワケ:

     

    なんともインパクトのある作品です。

    しかも、これらの作品はすべて西本さん自身が撮ったセルフポートレート。今風に言えば自撮りした写真にフォトショップなどで自虐的な加工を施した自作自演です。

    彼女は自ら企画、撮影を行うと同時にフォトショやイラストレータを駆使する好奇心旺盛なコンピュータお婆ちゃんということになります。

    経歴を拝見すれば彼女は若いときから写真家だったわけではありません。ブラジル生まれであるとか、若い頃は競輪選手だった経歴があるのでフツーの日本人とは違った側面も感じられますが、結婚後は主婦として子ども三人を育て、71歳になって息子の写真塾に参加したのをきっかけに写真を始めたそうです。

     

    この四十の手習いどころではないところがメディア的に注目される所以でしょうが、ぴっころが西本のお婆ちゃんを取り上げるのは少し違った理由かも知れません。

    そこでボクが気になるヒトに推薦したワケですが、作品に関して言えば、かなり社会的タブーに挑戦しているという点であり、作家としてみると写真に求めている世界感がみずみずしいという点であり、その能力は老若男女に関係なく傑出している分、何かが欠落している結果なのではないかと思えるところなのです。

     

    もし、これが西本さんではなく、新進気鋭の若手カメラマンがお婆ちゃんをゴミ袋に詰め込んで写真を撮って発表したのなら社会問題になったことでしょう。老人虐待だ、けしからんと非難が殺到したり、ワイドショーネタになるはずです。

    しかし、自らが被写体になり自虐ネタとして発表してしまうことで彼女独特のユーモアとして昇華すると同時にインパクトのある画像の作者として一種の才能を開花させ、生産性の衰えて行く老人の社会的イメージすらもぶち壊してしまいました。

    ある意味で彼女は90歳のロックンローラー、否、革命家といえるかも知れませんね。

     

    そして、これは障害をもった人たちにも大いなる希望を与えます。

    たとえば現在アメリカでは弱者を保護しなくてはいけないというポリティカルコレクトネスと、弱者を保護しすぎて白人の権利が奪われているとするアメリカファーストとの観念が対立しています。また、こうした対立はアメリカのみならず世界中で鮮明になっている今、あらゆる矛盾や差別の根底にあるタブーを超越して、それぞれの個性として皆で笑い飛ばせるくらいの寛容さが求められており、西本のお婆ちゃんのどこかハチャメチャでペーソスも含んだ自虐的なユーモアのセンスはトランプさんとは対極にあり、世界平和にも通じるとボクは思っているのです。

     

     

     

     

     

     


    ”人生において学校ってなんだ”=新春編=

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      2018年初になります「この人も気になる」のコーナー

       

      今回はこの方の登場です 

       

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      見るからに大学院に下駄とか履いて昼ごろやってきそうなお顔(失礼)をされているこのお方、名前を道脇裕さんといい、NejiLawというネジのベンチャー会社を起業された社長さんで、売り上げ右肩上がりの業界では有名な方なのです。

      詳しくはこちらを

       

       

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      ネジ屋と言いましたが彼のつくるネジは、ネジはネジでもタダのネジではありません。もちろん単に高価なネジというのでもないです。

      実は一度、締めるとゆるまないネジ。永久締結用のネジなのです。

      従来、ネジの緩み防止には通常ロックナットやロックタイト、緩み止めのワイヤをかけたりピンを通していましたが、基本は緩むものを抑えていた従来のものと決定的に異なるのは、原理的に緩まないネジであり振動に強く溶接などの代わりに使えるという画期的シロモノだということ。

      原理は上図を見てほしい。ちょっと口で言うとめんどくさいが、閉まる回転方向が逆の2つのロックナット同士に偏芯させた斜面を作っておいて締めるとこの面同士が当たり片方が緩もうとする力でもう片方が締め付けられてしまうという、今までになかったアイデアなのだ。

       

       

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      確かに逆転の発想。凄いアイデアマンだ。

      しかし単に経済的に成功したヒトには興味のないぴっころが、なぜこのヒトを書きたくなったかという理由には、そのアイデアとともにその学歴にあります。

      この方なんと、小学校5年生のときに「僕は今の教育システムに疑問を感じるので、自分の足で歩むことに決めました」と一方的に小学校に“休学宣言”した。という、まさに、その点にあります。

      え!?中学生までは義務教育じゃなかったですか?と聞き返したくなるその仰天の事実と、学校に行かなくても、社会から脱落しているとは思えない今の地位とのギャップに驚くわけです。

      環境的にみれば通常の日本社会では親子共々で病気と判断されても仕方ない状況にあるにも関わらず、結果としては社会で活躍するヒトを作ったことになっている点に注目するわけです。

       

       

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      小学校休学して、その後、様々な見習いをしながら自主的に社会で勉強に励み、自分の頭でモノを考える人物になって社会に貢献している。

      そういうと、彼にとっての学校教育は意味がなかったのかと思いきや、一方で彼は、後になって社会に出て必要な事柄を自分なりに考えて整理してみたら、今の学校教育のカリキュラムときわめて似たものになったというんですね、これが。

      これは面白いことですし、学校教育から一度、とび出したからこそわかる知見ではないかと思われます。

       

       

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      ボクは思う:

       

      日ごろ、ぴっころでも思うことなんですが、人間、自らが何か知りたいと思う前に、あれこれ理解を超える知識を詰め込まれても有難いと思わないばかりか、迷惑に思えるんですね。

      それが義務だったりすると嫌悪感に変わったり、逃避に走ったりするんです。

      ましてや学業という因習的な体系の中では成績として出来具合を評価されたりもし、成績が悪いと将来の就職だってままならないんだゾ!と脅されたりもする。

      個性的な人間にとっては自分には大事だと思えない他人の価値観で上下を決められるワケで、学校なんて不条理で面白くない場所ってことになるのは極く自然なことなんです。

      昔、高石友也さんというフォークシンガーがいましてね「サイン、コサイン何になる、オイラにゃオイラの夢がある〜♪」と唄っていました。もっともなんです、その時点でサイン、コサインに何の意味があるのか、分からないのですもの。

       

      そして逆に学校の大切さは道脇さんのように学校に行かずに好きなことをやって遊んでいたり社会に出て気づくものです。

      いろいろな人生経験をして道を究めようとしたときにサイン、コサインはなんて便利なんだ。タダで学べるうちに習っておきゃよかったな〜って気づくもんなんじゃないでしょうか。

      やらされるとき、勉強は忍耐かもしれない、でも無意味なもんじゃない。やがて、それがないと超えられない壁が出てくる。

      そして、それは他人の壁じゃなく紛れも無く自分の壁として立ちはだかる。

      きっと、それに気づいた時からが人生における真の勉強のはじまりだと思うんですよね。

       

      かくして結論ですが、子どもたちにとって学校のお勉強はやっかいですが、それなりの理由がある。

      したがって学校の勉強はやっておいて損はないが、もっとやりたいものがあるなら、それを先にやれば良い。

      こうして必要となったときに自らが主体で勉強しはじめたとき、”先人たちの知恵”は、もはや迷惑な存在でも嫌悪の対象でもないのだから・・・

      学業と社会経験どちらが先でもいいが、最終的な到達点はモチベーションの高さに依存し、それは続けらる好きなことへの執着であり、”自分にとって大事なものへの愛”だとボクは思うのでした。

       

       

       


      ボクがヒトを見直すとき(^^;

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        長く生きていると・・・な〜んだ、そうだったのか?と思うことがたまに発生する。

        それはボクだけかも知れないが、けっこう最近、しばしば発生しているような気がする。

        ボケたのかなぁ?

         

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        実は、ボクは長いこと、この方と黒川記章さんとを混同していたことが、Eテレでやっていた「“しゃあない”を生きぬく」という番組を見て、さっきわかった(笑)

        今頃、いったい何を言っているのだと突っ込まれそうだが、ボクはながらく有名な建築家で東京都知事選挙に出馬した人だと思っていたのだ。

        それで番組を見ていたら”安藤忠雄さん再発見”として何かを書きたくなった。

        このヒトも成績優秀でもなければ、変人に近く、健常のボーダーを越えてるかも?という、ぴっころブログに登場すべきヒトだと確信したからだ。本人にとっては迷惑なことかも知れませんが。

         

         

         

         

         

        この人を最初に有名にしたのは「住吉の長屋」と呼ばれる上の作品。

        3軒長屋の真ん中のお宅だけを改装する、しかも予算は超破格で・・・という昭和のビフォー・アフターだ。

        無理難題ともいえる設計依頼に対し、まだ駆け出しだった彼がとった手法は常識を破ったものだった。

        まずはコンクリートの打ちっぱなし。今では珍しくない打ちっぱなしだが、オシャレとかいう次元のものではなく低コストで両サイドの木造家屋を支えるための苦肉の策だったようだ。更にウナギの寝床で光も入らない問題を解決すべく真ん中の屋根を取り払うという、家屋としてあり得ない手法を敢行する。おかげで光の入る中庭は出来たものの。雨の日、トイレに行くにも傘がいるという建築家にあるまじき設計ができあがった。

         

         

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        更に彼の設計になる「光の教会」と呼ばれる建物が上の作品。壁面に十文字のスリットを設け、光の十字架を仰いで礼拝ができるというシンプルかつ神聖な建物である。

        太陽光を直接取り込もうとスリットにはガラスをはめなかったため「こんな冬、寒い教会をつくってどうする?」とクライアントからは猛反発を喰ったと聞くと、当然と思うと同時に彼がクリスチャンよりも敬虔な姿勢で仕事に臨む建築家であることがわかる。

        彼にとってすぐれた建物とは、必ずしも機能的、効率的なものではないのだ。もっと言えば人が気持ちをひとつにして集う場所の創造であって、必ずしも立派な器を作ることとは、とらえていないところに彼の真の建築家たるポリシーを見る思いがする。

         

         

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        そして、ニューヨークの9.11テロで崩壊した貿易センタービルのグランド・ゼロを再建するための設計コンテストで彼が提案した跡地利用計画が秀逸だ。

        上図の模型の真ん中の緑の丘がそのプランの全貌だ。

        そこには、建物を建てるのではなく、みんなが集まり、平和に語り合える芝生の丘をつくろうというプランであった。

        丘の断面はアークにし、グローバルな地球の一部としてニューヨークの存在をイメージした。

         

         

         

         

        結果は・・・不採用!

        「アンタなあ、一体、ここの坪単価なんぼや思とん?銭も生まんタダの山つくって、どないするんや?」

        まあ、英語だから、こう言ったかどうかわからないが、大方がそんな反応だったらしい。

        でも、彼は言う、再び、ここに建物を建てたら、人々は2001年9月11日に何があったかを忘れてしまうだろう。

        それよりも、人々が御魂を癒し、平和のために集える空間をつくることこそ、建築の本筋ではないのか。時には、なにも建てない建築だって必要なのだ、と。

        それを聞いたボクは涙をこらえ切れない。この採用されなかったプランはニューヨークでは忘れ去られるだろうが、ボクの心の中には生涯、生き続けるに違いない。

        彼には夏暑く、冬寒い長屋に住んだ経験はあっても、少年時代は勉強も出来ず、家も貧乏で建築を専門に学んだ学歴もないという。

        現在はガンとも共存しながら、しゃあないと闘病しながら仕事を続けているというが、建築家の魂として、この世にいくつもの分身を生んでいる彼はある意味、すでに不死身の存在だと思う。

         

         

        黒川さんはこっちの人だ

         

        ちょっと思想の似ている設計家 フォークト博士

         

         

         

         

         

         


        プレゼントの中身は・・・

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          雪のないグアムの子どもたちに雪だるまを見せてあげたくってね!

           

           

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          大気圏再突入の際、溶けないかが最大の課題だった

           

           

           

          人類にそのくらいの遊び心を求めたい今日この頃である

           

           

           

           

           

           

           

           


          人とAIのこれから

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            将棋の世界では十代の活躍とともに気になっているのがAIだ

            昔から十代の若者は居るし、AI自体も古くからある発想だが

            ここへきて、その台頭ぶりに社会の耳目が集まっている

             

             

            注目の十代を代表する棋士の藤井四段は14歳。プロ入り以来、負け

            知らず破竹の29連勝で記録を更新した。しかし同じ業界には同様に

            注目されるライバルがいた

             

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            藤井四段とともに注目を浴びるのは名人相手でも負け知らずの
            最強の棋士、上右の佐藤名人の相手をするponanza君だ

             

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            ポナンザの名の由来は学習評価プログラムのボナンザ(Bonanza)

            ボナンザといえば飛行機屋さんは、この機体を思い浮かべる

             

             

            ビーチクラフト社の機体ボナンザ。発売当時は意表をつくV尾翼

            高速で人気を博し日本の空でもよく目にしたが今はV尾翼ではなく

            普通の尾翼になってしまった。ま、ここでは関係ない話だが・・・

             

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            そして将棋界のponanza君は人間ではない。AI搭載の将棋ロボットだ

            アームを持った外観は自動車工場で働いてそうないでたちだが

            将棋では途方もなく強い。めちゃめちゃ強いのだ

             

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            どんくらい強いのかというと最初の一手からして、こんな感じ

            名人がアタマを抱え込むくらい意表な手をつくのだ。これが!

             

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            人間は過去の棋譜から、定跡という人生で言えば格言めいたものを

            まず習得、その中から状況に応じて将来的に有利で詰め将棋に持ち

            込めそうな手を選んで打つのだろうが、ponanza君の場合

            しばしば定跡はずれな手を打っておどろかせる

             

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            その結果はといえば、人類で最強棋士の一人である佐藤名人にも圧勝

            もはや、人間の棋士ではアマプロを問わずponanza君に勝てそうに

            ないばかりか実力差は広がりこそすれ縮らない状況のようだ

             

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            一体この強さをどうやって手にいれたのであろうか。すべての手を読んでいる

            訳ではなく、ひとまず過去の5万局の棋譜は取り込んだらしいのだがその後は

            ponanza君同士の対局をやりながら機械学習をした結果だという

             

             

            そして、そのプログラムを書いた方がこの山本一成さん。良かったよね人間で。

            じゃ、この人が全てを知っているのだから人類最強の棋士はこの人なのか・・・

            どうやら事はそう単純ではないらしい。もはやプログラムを書いた本人にも強さの

            秘密なんてわからないという。AIの学習機能は人知を超え、理由の分からない

            最適解のみを返すというブラックボックス化しているようだ

             

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            そしてこれは将棋のようにルールが明確で勝負という評価のはっきりしたもので

            あればAIがいかなる人の経験よりも正確に結果に対してのプロセスを導き得る

            時代が到来したことを意味しているのだろう

             

            また以上の事象は”考え、判断をするのは人間”としてきた社会通念を根底から変え

            社会の姿そのものを変える序曲に過ぎなのではないか、長く将棋の世界で最高峰に

            君臨してきた羽生義治はそう考えていたが、確かに我々は人類とAIの戦略的互恵

            関係が求められる新しい時代に足を踏み入れたということだろう、連勝記録を打ち

            たてた藤井四段にとってAIは仲間なのだろうか?ライバルなのだろうか?

             

            十代とAI、この発展途中で延びしろの大きな領域が、私たちの生活を大きく変え

            ようとしている。これからの人類を担う若者たちにいったい何を教えればよいのか

            民主主義であれ、経済であれ大人たちのつくってきた社会システムが理想像からは

            乖離し動脈硬化している現状を見ると、思いもよらぬ一手を繰り出す十代とAIの

            コラボには世界の明日がかかっていると思うのだ

             

             

             

             

             

             

             

             


            芸能人の汚宅拝見!

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              まったくのワタクシゴトだが、航空関係の友人の娘さんにテレ東の

              西野志海アナウンサーがいる

               

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              親父から娘が番組で歌っているというので教えてもらったのが

              このサイト

              寂しい孤食美女を訪ねて行き歌謡曲で励ますという趣向だ

               

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              毎回、違う美女のもとに行くが、ビックリしてしまったのがこの人

              西上まなみさんと言われるモデル業の方なのだ。

              見た目にはかわいいのだが・・・果たしてその実態は

               

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              西野アナがカセットデッキを担いで出かけた彼女の部屋はゴミ箱状態

              ぴっころの”この人も気になるのコーナー”に打ってつけの人だった

               

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              シンクにまで、うち捨てられたゴミを見て「水使うときはどうするの?」の問いに

              「水ってあまり使わないですよね、人が生きてくうえで・・・」シレっと応える西上

              すかざず「つかうわ!」突っ込みを入れる西野アナ

               

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              この片付けられない性格ゆえ、やっと遊びに来てくれた友達も蕁麻疹を発症して

              帰ってしまい、ずっと孤食が続く状態で今に至るらしい

               

               

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              とりあえずこの状況では歌う場所もない。とスタッフ総出の片付け作業が始まった

               

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              下着も脱ぎっぱなし。出てきたブラに「わ〜!隠すところ小さ〜い!」

              と、西野アナ。おいおい指摘するのはそこなのか・・・

               

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              かくして、このBefore After

              彼女も初めて部屋の床を見たかのような感激にひたる

               

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              きれいになった部屋で、いい日旅立ちを歌い終えて本日終了

              ヘルパー業、お疲れ様でした

               

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              病気なのか性格なのか・・・人は片付けられなかったり、付き合い下手だったり

               

              かくして日本のどこかであなたを待ってる人がいる

               

              がんばれもっちゃん!

               

              瞑想:

              たとえ、その原因が病気であれ性格であれ、一般的にはネガティブな事象があっても、社会に役立つ能力があればそれを伸ばし、活かせるポジションを獲得することで個人も社会も前向きになれる関係を構築すべきだと主張してきた。

              しかし今回の西上さんの場合、表向きはモデルとして、すでに芸能界で活躍されているわけだから、社会への適応については問題なしと言えるのだろう。

              だがなあ・・・

              関係者を家にさえ連れて来なければ、お片づけできない性格はバレずに済む?

              部屋で生ものが腐ってたり、脱いだブラジャーがそのままだったりしてて、本当に仕事には影響ない?

              また平気で、この状態が普通だと思ってる人を人間として信用したり、愛せたりするのか?

              関係が進み、お友達でも、カレシでも部屋に連れてきたときに、それまでの関係が崩壊はしないのか?

              この辺をどう、とらえるのかはひと様々なのかも知れない。

              本人にもう少し整理するように努力させるべきなのかも知れないし、モデルで稼ぐ彼女の部屋を喜んで掃除してくれる伴侶が現れればそれで済む問題なのかも知れない。

              今回も、ゴミ箱と化した部屋の惨状とメディアを通して見る彼女とのギャップによってアクセスを稼ぎだし、テレ東が代わってお片づけをしてくれたのだと考えると、”片付けられないモデル”というのもひとつの能力と考えられなくもない。

              他人と大きく違うこと。それを個性とするか病気とするか。それを価値とするか欠陥とするか。人生の目的をどこに据えるかで判断は大きく異なるのだろう。

               

               

               

               

               

               

               

               

               


              藤井聡太四段とこどもの日

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                時々、書きたくなる、ぴっころのこの人も気になるのコーナーです

                 

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                将棋は将棋の世界で考える

                この人は将棋の世界において天才と噂され、デビュー以来、華々しい戦績にも関わらず、とても謙虚な中学生として人気急上昇中の藤井聡太四段。
                62歳も年上の大先輩、加藤一二三九段を前にしても物怖じすることなく、将棋盤に集中する物腰や表情に、シンパシーを感じるワタシである。

                否、ボクが天才かは別問題として、この手のタイプの人の気持ちというのはよく分かったりするのだ。
                その異常ともいえる集中力、持続性、こだわりによってアスペルガー症候群ではないかという疑いが持たれているのも知っているが、そうだったとして、だからなんだといえる程度のものではないかとボクは思っている。
                彼を初めて知ることになったデビュー報道を見て、きっとこれは集中しすぎての失敗談もあるに違いないと踏んだが、果たせるかな棋譜を考ながら歩いていてドブにはまったり、浴室タイルを将棋盤に見立てて詰め将棋をしていてのぼせたりと、その手の逸話には事欠かないらしい。
                もう、ここまで国民的ヒーロー扱いになると、いまさらバラすとバカだと思われるから隠していることが他にもいっぱいあるに違いない。
                草間弥生さんのときにも書いたが、卓越した能力で注目を浴びる人は、えてして病的なまでのこだわりを持っているものだし、逆に通常はもっと関心を持たないといけない日常の事柄には関心が薄いものなのだ。

                 

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                ”忖度”苦手なアスペルガー
                話は少しそれるが今年、流行語になった”忖度”は、日本に暮らす限りアスペルガーっぽい人々にとっては、理解するのにかなり学習を要するスキルだと思うのである。
                相手に対して対応を変えたり、真意とはかけ離れてるのに表向き表現はこうするんですよ、とか言う指導はアスペルガーにとってハードルが高く経験をつまないとなかなか理解不能な事柄なのだ。
                なぜならば、その裏には暗黙の了解事項が数多くあるのに、タブーとしてどこにも明記されていないという事実があるからだろう。
                たとえば総理大臣の妻に対しては、私人であっても特段の配慮が必要だとは役人のマニュアルには書いていないだろうが、常識として察して行動しなければ浮き、その職場にとっては困った職員ということになる。

                もし仮に藤井聡太四段がアスペルガー症候群であったとすれば将棋盤の向こうに居るのが加藤一二三九段であろうが、加藤茶だろうが、関係ないし、さしたる興味はないと言っていい。

                ある意味、日本的ソーシャルスキルがないことで、局面を冷静に読めているとも言えるのである。
                翻って、ぴっころにとっても社会に適合する人材を作ることと療育の境界をどう見定めるか、その裁量は現場職員に任されているともいえ、自身がアスペルガーと言われるボクにとっては常識って難しいよね、と、一番、判断に迷う部分なのだ。

                 

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                未来への指針

                発達障害をもった子どもたちが、単純に普通の子どもたちになりきれない病気の子たちとばかりは言えないのではないか。

                子どもはたちは、その生まれてくる世界を選べないが、この世界に生まれてきてくれたからには幸せになってもらうようにあれこれ考えるのは先輩としての大人の役割なのではないか。
                アスペルガーに限らず、病気だから仕方ない、と、考えてられている子どもたちのなかにも現在の人間社会の方が適正な評価を下していないだけの子どもたちもいるのではないか、簡単には見つからないかも知れないが、聡太君にとっての将棋を見つけ出す手伝いをすることは、支障なく日常生活を送れるように指導することと同様、子どもを育てる大きな意味なのではないか、そんなことを思う、本日、子どの日であった。


                 


                飛行機は左右対称であらねばならぬ?

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                  世界には普通では思いつかないことを考えるヒトがいるものである

                  普通ではないヒトの生き方はアスペルガーのボクにとっても

                  参考になるので、ちょっと、ご紹介したい

                   

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                  たとえばこんな飛行機をデザインする設計者である

                   

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                  これを設計したのはシングルエンジンで広い視界を確保する偵察機という

                  仕様書に対し、最適解を追求したドイツのブロームウントフォス社の

                  フォークト博士だ

                   

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                  自信満々の博士に対し、困惑したのは周囲だった

                   

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                  ここは思案のしどころである。こんなんで本当に飛ぶの?と

                  考える至極まっとうな常識を持っていないからこそ思いつく

                  彼の気質は病気であるのか天才であるのか?

                   

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                  一般のこれ本当に飛ぶの?との疑念をよそに飛行試験で実証された性能は

                  「本当に飛ぶの?」どころではなく競争試作をした相手のフォッケウルフ社

                  Fw189をもしのぐほどであった

                   

                   

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                  性能は良かったが正式採用に二の足を踏む軍の考えを今のワタシなら理解

                  できる。それをソーシャルスキルの向上と呼ぶのかは定かではないのだが

                   

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                  結局、フォークト博士の設計は採用されることはなく、そこそこの

                  設計をしたFw189に軍配があがることになる

                   

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                  そう左右非対称の何が悪い?彼の気持ちが痛いほどボクにはわかる

                  だって単発で視界良好を目指せって言ったのそっちじゃないか〜

                   

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                  これがその後の常識世界の動きである。戦後の航空界においても

                  ある程度非対称な飛行機の試みは絶えず出現しているが、けして

                  非対称機がメジャーになったことはない

                   

                  だが、このフォークト博士の強いこだわりこそが彼の病気であり

                  創造意欲の根源でもあった。その活動が広く一般に知られることは

                  なかったが、人類の歴史から消滅することも、また、ないだろう

                   

                   

                  NOTE:

                  上記は飛行機オタクしか読んで楽しくないようなテーマではあるが、実は世の中に多くある偏見や差別の根源的な要素を含んでいると思うのである。

                  飛行機が対象であらねばならない理由は、ヒトを含む多くの動物の身体がほぼ対象にできているという習慣的事実認識に基づいてるだけだったり、他人と同じであることに対しては説明する必要のない安心感によるものではないのだろうか。

                  しかし、この今までのものと違うことへの抵抗感は、無意識的な連帯を生み出し、しばしば排斥運動にも結びつく。

                  見てわかる障がいを持った方々に対して無意識的に脳のどこかで働く拒否反応であったり、ボクがこうして飛行機の話になったりすると「まあまあ、もうその辺で・・・」という妻の圧力も似たようなものでは(笑)と思うのである。

                  いちいち飛行機の設計仕様を出すときに「左右対称な機体で、単発で全周にわたり良好なる視界を得るように・・・」とは書かない。

                  しかし、「そんなのは常識で言わなくてもわかるだろ、もう少し大人になって空気を読め!」みたいな社会環境だけではフォークト博士の非対称機は生まれなかったし、我々も必ずしも対象でなくてもけっこう飛べるんじゃんという事実を知りえなかったに違いない。ボクはアスペの異端児にだって社会的役割があると考えたい。

                  尚、付け加えておけばBv141は、その後、エンジンパワーをアップしたらバランスが崩れてどうしようもなくなり、正式採用された競争相手のFw189は地味ながらも活躍した機体となった。

                  さらに機体の良し悪しだけでなく、フォッケウルフ社のクルトタンク博士はドイツ空軍の最強戦闘機Fw190を生み出したことで国家への貢献度絶大だから、その決定には政治的配慮がものを言ったであろうことは容易に想像できる。

                  ヒトは生まれながらにさまざまな特徴を持ち、身体でも知的でも病的と思われる特徴の中にだって社会に活かせるものがある。

                  きっとある。

                  その能力に気づかせて障害があっても自信を持って生きられる子どもたちを育成し将来を託したいと思う。

                  ときには常識から自由になってものを考えてみようよ。左右対称が常識であっても、世の中に完全に左右対称なヒトなどいないのだから・・・

                  「世界の珍兵器」そんな社会の主流とはかけ離れたお馬鹿なマンガをファミマに見つけ、キッズと奪い合うように読んでいる大人気ない社会人未満のボクの戯言にお付合いいただきありがとう。

                  世の中には、そんな価値観のヒトもいるのだ!ということを常識を備えた健常な方々に知ってもらう一助となれば望外の喜びであります。

                   

                   

                   

                   

                   


                  ホントにいいの?それで・・・

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                    大阪出張の夜、ボクはハイボールを飲みすぎて変な夢をみた

                     

                     

                    ドナルド・トランプが大統領に選ばれたという夢だった

                     

                     

                    朝起きて:

                    明け方、ベッドで目を覚ましたボクは、つけっぱなしのテレビに映し出されるトランプの勝利演説を目にした。

                    まさか!!

                    もう一度、寝てみようかと思ったけれど、白々と明けてくる窓の外の光は目の前で起こっていることが夢の世界のお話ではないことを強調するばかりであった。

                    夢のような世の中で、現実に生きていたのは、木村太郎だけだったということなのか・・・

                    だが、ヒラリーが勝利演説をしていても、ボクはもう一度、夢を見たいと思ったに違いない。

                    米国にも世界にも必要なのは嫌われものの両極端の候補ではなく、バランスのとれたサンダースさんだったのではないのか・・・

                    どちらの悪夢も夢であって欲しいので、もう一晩、寝てみることにするか。

                     

                     

                     

                     


                    下町ロケットに思う、変人の薦め

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                      今、人気のドラマ下町ロケット



                      我が家でも毎週楽しみにしていて、日曜9時は大福を準備して

                      テレビの前に家族が集う



                      そして阿部寛には似ても似つかないけれど原作のモデルは

                      多分、NASAより宇宙に近い町工場を経営するこのオジサンだ



                      名前は植松努さんと言われるが、詳しい話はこのオジサンの講演を

                      聞いてもらうことにして話は先に進もう



                      思うに、このオジサンにもちょっと発達障害じゃないの?と思われる

                      フシが多々感じられ、ボク自身ともラップする部分が多い



                      みんながラジオ体操しているときに、ひとり座り込んで

                      地面に画を描いている植松少年。こんな子、居ますよね〜



                      そして愛読書。ワタシも少年時代に同じ本を読んでるし、もはやヒトゴトとは思えない

                      更に、周囲に友達は少なく、支えになったのは本の中のこの方々たちだったのも同様だ




                      かくして我々は(すでに一体化してる)、ほとんど同じ価値観の人種のような気がするし、まともに嫌いな科目や宿題なぞ、やりそうにないから学校教育からは皆、嫌われそうである。
                      エジソンもライト兄弟もアインシュタインもそうだが共通していえることは、その時点では価値のない(と思われている)事柄に熱中し、溢れる好奇心とは裏腹に常識に欠け、言動に周囲への配慮が足りないことなどから、変人扱いを受けるが、彼らは、その後の業績から歴史上ではけっこう偉大な人たちで通っている方々だということではないだろうか。
                      社会に役立った変人を一般ピープルは偉人と呼んでいるのかも知れないとすら思ってしまう。

                      ぴっころ的には、否、同じ性向を持つぴっころの”発達障害オヤジ”的には、子どもが発達障害を疑われていても先々まで将来を悲観することなどないかも・・・ということが言いたかったりする。
                      多少、集団行動の中で協調性にかけていても、服がいつも後ろ前でも、きっとその子たちをうまく育てると、社会を変えてしまうような能力を開花させるかも知れないということだ。

                      そして、ここにもう一人の実在の人物を示したい。4歳でこんな画を描くさかなクンだ。
                      さかなクンについていまさら説明するまでもないだろうけど、なんとも見事なアスペルガーチックな画である。

                       

                       
                      運動会でみんなが赤白帽をかぶっている中、ただ一人サカナ帽をかぶる(?)さかな少年はいったいどんないじめにあったのだろう。
                      いかにしてさかな少年は形成されてきたのかななどと思っていたら、お母さんの育て方が書かれたサイトを見つけた
                      読んでみると、わが意を得たりと思う内容だ。
                      いろんな障害を持った子どもがいるし、なんとかして治そうという試みも感じますが、本来持っているものを最大限に活かすことが、本人にとっても、社会にとっても一番幸福な道だと思います。
                      植松さんの言われるとおり、子どもが夢を抱いたときに「どうせお前は何をやってもダメ、むり〜」という言葉でなく、どうしたらできるかを一緒に考えてあげてください。


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